造船所と聞くと、様々な船主を建造しているかのように思われる方が多いと思います。例えば今治造船はバルクキャリアからコンテナ船、VLCCなど建造船種は多岐に渡ります。複数の工場で建造され、国内建造量1位を記録してます。
今回紹介する大島造船所はドック1基にも関わらず単一のドックとしては国内最大の建造隻数を誇る、生産性特化の珍しい企業です。
それでは詳しく見ていきましょう。
~お品書き~
大島造船所とは
バルクに特化
大島造船を一言でいうと、「バルクの大島」と言えます。
ドック1基にもかかわらず建造量は国内5位以内に位置し、単一ドックでの建造隻数は世界1位であることに疑いようはありません。
そのあまりの徹底ぶりから、ばら積み貨物船(バルクキャリア)市場のうち、大島造船所の建造船が世界シェアの16%を占める(2019年12月時点)というシェアを誇り、設備投資も継続していることから今後より増加することが予想されます。
生産性の権化
ドック1基でこれだけの建造を行うためには、かなりの生産性が求められます。
大島造船のドックの大きさは長さ535m、幅80m、深さ13mで、1200トン、300トンのゴライアスクレーンがそれぞれ2基ずつ設置されています。
因みに、国内で最新鋭のドックである今治造船の丸亀新ドック(2017年完成)には1330トン×3基のクレーンが設置されており、2008年と2014年に1基づつ設置した大島造船の投資ぶりがよくわかりますね。
このように生産性を上げるためにはドック回転率を上げなければならず、その為には船体ブロックを大型化することが重要です。大島造船は強力なクレーンでもって約2000トンのブロックを組み立てドックへ運搬します。
しかし、クレーンのみでは限界もあります。大島造船がそれほどの生産性を記録しているのは、バルクに特化するという戦略を社員全員が共有しているからにほかなりません。全社員が同じ戦略を共有していると言うことは、実は多くの企業では実現されていないことが多いのですよ……。
大島造船所50年の歴史
大島造船所の歴史は、実はかなり浅いものです。創業は1973年と、今から約50年前です。
ちなみに、オイルショックが生じたのが同年なので、大島造船は創業時から造船不況の中を進むという状況下にありました。
船舶拡大化対応のための新工場と住友
大島造船所のHPには大島造船所物語と呼ばれる社史が掲載されております。
現在の株主がダイゾー、住友商事、住友重機械の3社であるように、この3社の合弁で誕生したのが大島造船所です。
南一族が実権を握るように、ダイゾー(旧、大阪造船所)がその前身といえます。現在、ダイゾーの造船事業はタグボートに限られます。
工場は尻無川の河口に位置しており、設備は埋め立てられましたが本社は残ってます。
1985/06/06(昭60)の空中画像から見るダイゾー(CKK85-1 C12A-8)
画像出所:国土地理院 地図空中写真閲覧サービス
戦後は船舶の大型化が激しく、現在の設備の拡大ではとても対応できなくなってきます。ダイゾーでは33型バルクキャリア(DWT3万3千トン)を年間9隻建造しておりましたが、建造可能な最大船型がそのサイズでした。
中手造船業はVLCC市場への参加を志し、大型ドックの新設を計画します。名村造船の伊万里やサノヤスの水島工場と同じですね。当時、大型ドック新設には大手企業との提携が必要とされていたので、住友との提携を選択しました。
大島への進出とオイルショック
基本方針としてタンカーを建造する方針の元、新工場の設立が決定されます。そして、オイルショックが世界を震撼させるのです。
当時は工場の建設途中でしたが、資材不足と価格高騰に悩まされることになります。そして、想定していたタンカーの連続建造は工場が完成する前に絶望視されたのです。
1974年、ついに操業が開始された大島造船所では、三光汽船発注の89型タンカー(DWT8万9千トン)が第1船として建造開始されました。受注残は89型タンカー4隻、138型タンカー8隻がありましたが、オイルショックによる石油需要の減少から大部分がキャンセルまたは別船種に変更となります。
ちなみに、この三光汽船は戦後最大の倒産といわれるほどの莫大な負債を抱えて倒れました。巨大倒産 ―「絶対潰れない会社」を潰した社長たちに載っているほどです(笑)
このように、大島造船所は大型タンカーの連続建造を主目的に新設されたにもかかわらず、本格操業以前からそれを許さなくなったのです。
そして、国策としての2度の設備処理で、大島造船所はグループ処理を行います。最終的に大阪造船所は新造船から撤退し、大島はドック1基を死守します。そして、これ以後大島はドック1基で大量建造を行っていくのです。
バルクの大島へ
業界において、大島造船所はバルクの大島と呼ばれてます。これは、1991年に「バルクに特化」という大方針を掲げたことから始まります。
造船不況で、大島造船はバルクからタンカーといった大型船からタグボートのような特殊船も建造するに至ってました。しかし、企業の売り上げは赤字続きでした。
「昭和63年年初の新生大島造船所誕生以来、62年度、63年度と赤字決算…中略…平成2年度も赤字なら、株主との約束で会社清算の予定だった」
そこで、大島造船はバルクに特化と言う選択を行ったのです。また、VLCC建造可能なドックですので、横に並べて同時に建造する並列建造も行いました。
年間引渡隻数は1995年16隻、2001年24隻、2011年36隻と右肩上がりで、2016年には38隻を記録するに至ります。この間もドックは1基のみですので、単純計算で月に3隻以上を完成させ引き渡す計算になります。
大島の成長は止まらない
海外進出
さて、生産性の権化ともいえる大島ですが、実は海外進出を図ったことがあります。ベトナムに新造船建造を含む大規模な計画でした。
まず初めに設計部門を現地に作り、その後新造船建造を考えてました。しかし、造船市況の悪化から新造船建造は中止され、設計部が現地に作られたのみになりました。
2020年4月時点で108名の社員が在籍しており、本社設計部と共同で船体の設計を行ってます。ちなみに、建造量2位のJMUは設計者数300人ですので、人員数の大きさがうかがえますね。
三菱香焼工場の取得
先日、三菱の香焼工場が大島に売却されることがニュースになりました。私も別記事で書きました。
香焼は100万トンドックと呼ばれる、オイルショック前のVLCC連続建造を目的に作られた世界最大級のドックです。ドック2本を持つ工場ですが、その内の新造船建造ドックを購入しようとしてます。
大島造船と三菱香焼工場は車で2時間の距離にあり、ドックの規模も長さは大島の約2倍近いなど、大幅な戦力アップになります。クレーンも1200トン×1基と600トン×2基のように大島と似ており、大きな混乱はあまり生じないでしょう。雇用条件などはわかりませんが……
ドック2基体制になると、1か月に引渡6隻や10隻などもあるかもしれませんね(笑)
おわりに
造船企業の紹介は前回の名村造船に続き2社目ですね。いかがだったでしょうか?
本当に軽くしか紹介しておりませんので、女性が活躍している特徴とかにはあまり触れられませんでしたね泣。
また気が向けば他の会社も紹介しようと思います。
それでは!
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