川崎重工の商船事業をご紹介!要点は海外重視の建造方法?

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バイクや鉄道、ロボットなどで有名な川崎重工業もまた、かつて日本造船業を率いた1社にほかなりません。

船舶海洋事業は2019年度決算では売上高の5%を占めるまでに縮小されましたが、これは海外合弁企業との事業展開が中心になったためです(1950年代はだいたい70%くらい占めてました)。

今回はこの川重の造船事業を紹介し、戦後日本の大手企業における海外展開を見ていきたいと思います。

※企業公式よりカワサキレポートというものが発行されております。企業紹介のような感じで、とても見やすくできてます。良ければ参照ください。船舶の製品カタログは公式サイトの製品に記載されております(こちらからどうぞ)。本記事でもこれらを多用いたします。

川重の造船事業の歴史

戦前

川重の社歴については、企業公式ホームページ川崎重工の歴史に詳しく掲載されており、ここではかいつまんで書いていきます。

実は、川崎重工の始まりは造船業からでした。1878(明治11)年に東京・築地に川崎築地造船所を開設したのが当社の起源とされてます。その18年後に川崎造船所(現在の川重)が設立されます。

さて、川重ですが海軍とかなり強いつながりが見られます。意外にも?日本初の潜水艦を建造したのは川重だったりします。1906年に海軍に引き渡し、その2年後には民間造船所では初となる軍艦の建造を行い、竣工させました。

※他事業では、国産では初となる蒸気機関車の製造や、日本初の全金属製飛行機の完成など、日本の重工業の発展に尽力したといって間違いないでしょう。

高度な技術力を駆使し日本初の製品を作ってきましたが、海軍艦艇の建造でも大きく活躍しました。戦艦加賀や榛名、空母瑞鶴や大鳳などのほか重巡、そして潜水艦など多数を建造し、終戦を迎えます。特に戦時中は工業地帯ということもあり、かなりの被害を受けました。また、泉州の方に潜水艦や海防艦を建造する泉州工場があったそうですが、1949年に閉鎖されました。

戦後

戦後はGHQにより重工業が禁止され、苦い時代を歩むこととなります。連合軍軍政下の日本において初となる大型輸出船は、川重製の大型タンカーでした(戦後初の輸出船は三井造船と播磨造船がノルウェーに捕鯨船を輸出しており、大型船として初となったのが川重のタンカーでした)。

※戦後日本の輸出船は、戦火を交えなかった国からの発注が重要な意味を持っていました。ノルウェーやギリシャの船主が日本製を購入していったのです。これは、イギリスなどの主要造船国が手持ちが多くすぐに建造できない一方、日本はすぐにでも生産に取り掛かれたためです。また、GHQとしても日本の外貨不足を問題視しており、輸出船はこの解消に大きく役立ちました。

川重は戦後も防衛事業を継続しており、初の国産潜水艦を建造したのち、現在も潜水艦建造を神戸で行ってます。残念ながら水上艦艇の建造は若干数のみで終え、もう見ることはないでしょう。

一方の商船事業では船舶の大型化に対応するため、1967年に坂出に工場を新設しました。オイルショックまでの他の大手企業と比べると、工場は神戸と坂出の2工場体制であり、規模が大きいとは言えません。

設備処理後も国産では初となる船舶を建造していきます。1981年に日本初のLNG船を建造し、85年には同じく初となる深海救難艇を竣工、89年にも初のジェットフォイルを竣工させました。技術力の高さを示してますね。

そして2015年、三井造船の由良ドックに資本参加し、MES-KHI由良ドックとなりました。

海外への進出

川重の商船事業における海外進出は、1995年に始まることとなります。中国に合弁会社「南通中遠川崎船舶工程有限公司(NACKS)」を設立しました。中国の造船業界では初めての合弁事業だったそうで、

第2の海外進出は2007年の「大連中遠川崎船舶工程有限公司(DACKS)」の設立です。こちらも合弁企業として誕生しました。

どちらも合弁先は国営海運会社のCOSCOグループで、半数以下の資本を出資してます。

※中国での合弁事業は、株式の過半数を中国現地が握ることが基本となってます。

また、ブラジルに海洋関係の事業に経営参画したのですが、大赤字を出してます。

川重の建造船種・工場

中期経営計画「中計2019」(2019〜2021年度)船舶海洋カンパニーより。

川重の建造船種は非常に幅広いものがあります。強みは海外工場を主力としたコスト優位や、高い技術力を持った国内工場などでしょうか。

建造工場としては国内に神戸、坂出があり、中国に合弁企業としてnacksとdacksがあります。商船建造の主力は中国合弁2社ですので、国内は縮小方針となってます。

船舶海洋事業の構造改革について」より。

神戸

記述の通り、神戸は潜水艦建造を中心に行っており、商船関係はジェットフォイルなどの特殊船を除き、ほとんどありません。

建造能力も設備処理などでかなり減少し、船台3基と修繕ドック3基があるのみです。ただ、船台のうち1基は潜水艦建造専門ですので、商船利用はできません。

第1船台にて潜水艦が、第4船台にてLPG運搬船が、第7船台にてジェットフォイルが建造されたそうです。国内の商船建造が坂出に移ったため、今後第4船台で商船が建造されることはあまりないでしょう。

坂出

瀬戸大橋を渡る際に眼下に見える造船所が川重坂出工場です。巨大な丸型のタンクが見えると思いますが、それはここがLNG船の建造拠点に他ならないためです。

かつては建造ドック2基と修繕ドック1基でしたが、経営再建計画で建造ドック1基の削減が発表されました。また、中国合弁でのLNG船建造も行われる予定で、マザー工場への転換がうかがえます。

VLCC連続建造のために新設されたので、ドックはかなり大きなものとなってます。ただ、VLCCは中国合弁での建造に移ったため、坂出で建造されることはあってもごく少数にとどまるでしょう。

MES-KHI由良ドック

由良ドックはもともと三井造船由良工場で、主に修繕事業を行う施設でした。

1988年に本体より分社化され、2015年に川重が資本参加することとなりました。

長さ405m、幅65m、深さ14.3mのドック1基で、入渠可能最大船型は330,000 DWTです。修繕事業のみなので、あまり耳にする機会はないかもしれませんね。

NACKS

1995年にCOSCOとの合弁で誕生したnacksですが、今や商船建造の主力工場となりました。ドック2基時代の坂出工場と同規模の建造能力を有し、当初はバルカー中心だったものが今ではコンテナ船やVLCCなど様々な船種を建造できる体制となってます。

商船事業の事実上の製造拠点であるといって過言ではないでしょう。

DACKS

dacksは川重とCOSCO、nacksの3社出資して設立されました。営業と調達はnacksで行ってますので、建造工場の面が強いです。事実、ドック規模はこちらが上です。

2010年に操業を開始し、年間300万DWTを建造してます。ちなみに、ドックの長さ700mは中国で一番長いそうです(公式HPより)。

中期経営計画では「DACKSはタンクを自社製作する自立したLNG運搬船建造ヤードに」という文面も見られるなど、今後もLNG船建造を重視する方針です。

※中国でのLNG船建造は、他社はフランスに設計を委託するなどしており、自社完結型は見られません。

終わりに

国内建造量で見るとランキングに入りにくい川重ですが、中国合弁を含めると建造量は日本勢ではトップ5に入ることになります。

特に大型のLNG船を主体に建造するのは、国内では三菱と川重程度しかありません。その三菱は香焼工場を大島造船所に売却する方針であり、事実上の撤退と見れます。

LNG船ですが、現状韓国企業が一人勝ちといえます。ロット受注が基本ですが、日本勢は規模が小さく大量受注が不可能で、中国は技術力が不足しておりました。カタール国営による大量発注もその大部分が韓国に流れました。

川重のLNG船建造は、今後坂出と合弁企業で建造分担するとなると、ある程度のロット受注に対応可能となります。もしかしたら独占状態を崩せるかもしれませんね。

また、中国は自国の海運は自国で建造された船で行う方針を発表し、海外企業が参入できない可能性もあります。その点、川重は問題ないのかもしれません。

一方、気になるのは技術流出でしょうか。日本製鉄の重要技術が韓国に盗まれたのは誰もが知っていることで、商売敵でもある中国造船企業を成長させることは、日本企業により一層の圧力をかけることでしょう。

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