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約1,000事業者ある国内の造船業。ここでは、そのうち工業会加盟の17社を軽く紹介します!

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三井造船の造船事業をご紹介!倒産?ヤバイ?一緒に見てみましょう

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三井造船、造船に興味が無い方でも名前くらいは知っていることと思います。

残念なことに、ここ数年は倒産の危機だとか事業撤退とかで有名になってしまいました。

今回はその三井造船の造船事業をご紹介いたします。

※本記事は三井造船100年史をもとに作成しております。

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三井造船略史

戦前

造船事業の始まり

三井造船の始まりは造船事業からではありませんでした。日本初の総合商社である三井物産の造船部として1917年に創立されました。

1916年時点約70隻もの船舶を有していた物産ですが、第1次世界大戦の拡大により世界的に船舶不足が顕著化し、修繕ドックの確保も厳しくなりました。自社船舶の稼働率が悪化する可能性があったのです。そして、自社船舶の修繕と新造を目的に、1917年に創立となったのです。

※2年後までに船台4基、ドック2基を完成させましたが、鉄の確保が全国的に困難となり初の建造船は木造船だったそうです。日米船鉄交換条約を義務教育課程で学ばれた方が多いと思います。

B&W社との関係

視察に行った社員が、第1次大戦後の造船不況にあえぐ欧米各国の造船業と比べて、デンマークのディーゼルエンジンメーカーであるバーマイスター&ウェイン社(B&W社。現在はドイツのMAN社に吸収済み)は盛況であることが判明しました。造船不況下でも、ディーゼル機関需要は伸びていたのです(それまでの主流は蒸気機関です)。

自社建造船で実際に使い、B&W社製が最も効果的であったことから、1926年に製造販売実施権契約を結びました。現在もエンジンの製造販売を継続しております。

※参考までに、1911年にドイツのMAN社と川崎造船所が、1925年にスイスのスルザー社と三菱造船所が、ディーゼルエンジンのメーカーと技術提携してました。

分離独立

その後、1937年に本体から分離独立し玉造船所として設立され、1942年に三井造船に社名を変更しています。この間にシナ事変による海軍需要が増加し、1940年に玉造船所は潜水艦建造所としてとして海軍の管理工場に指定されました。

戦時中は商船や潜水艦のほか、戦時標準船などを大量建造すると同時に、ディーゼルエンジン需要は極めて高水準で推移していたこともあり、業績は上々だったそうです。

そして、1945年の終戦を迎えました。

戦後

連合国により都市無差別爆撃などで軍施設のみならず非戦闘員にも多大な被害を受けることとなりましたが、ミッドウェー海戦以後は連合軍側が制海権を取得している状況で、神戸や名古屋の造船所は別として、それ以外の造船所はあまり被害がありませんでした。事実、玉野は無傷で過ごすことができました。

しかし、戦後の厳しい賠償案(詳しくは造船研究をご覧ください)に伴う混乱など、三井造船もそれら戦後体制に巻き込まれることとなります。

関東進出

1950年の朝鮮戦争は日本に特需をもたらし、賠償案などが撤廃へ向かうのみならず、その後アメリカ軍政権の支配から解放されることとなりました。

造船では計画造船政策による海運・造船業への支援策などが打ち出され、日本経済もまた回復へ向かいました。特に日本造船業は1956年に世界最大の建造国であったイギリスを抜き、2000年まで造船王国の座を維持しました。

また船舶は急速に大型化していき、既存の船台やドックでは対応できない企業も現れてきました。

三井造船にしても玉野はその立地上拡大が難しく、また関東の船主は修繕のため岡山まで船を回航させなければならないなど、造船所新設の必要性も生じてきました。

1962年、新たに設立した千葉工場に建造ドック1基が完成し、大型船に対応しました。さらに、この建造ドックを延長し建造・修繕用にするなどしました。特に、1966年には運輸省に50万重量トンの船舶を建造できる超大型ドックの新設許可を求めるなど、大型化が進みました。

合併と設備処理

1960年度の三井造船は造船事業と非造船事業の売り上げが6:4であり、造船不況下には脆弱な体制でした。それを5:5程度にするため、大阪の藤永田造船所を1967年に合併しました。

※藤永田造船所は別名”駆逐艦の藤永田”と呼ばれるほど海軍艦艇を建造していた企業で、その技術力は高度なものでした。陸上部門として化学工業用機械を有しており、プラントメーカーとしても実力を発揮してました。

合併により、1968年には中型船を藤永田で、大型船を玉野で、超大型を千葉で建造する生産体制を作りました。

その後1973年にオイルショックが起こり、過剰設備を国策として処理する設備処理を行いました。三井造船は現有設備の40%を処理処理を求められ、三井造船と藤永田造船、日本海重工、四国ドックと共に臨みました。結果、藤永田造船は新造船から撤退し、三井造船グループとしての新造設備は玉野に1基、千葉に2基、四国ドック1基の計4基なりました。

続く第2次設備処理では千葉の建造ドックを処理し、最終的には玉野の船台1基と千葉のドック1基、四国ドック1基の計3基にまで減少しました。

また、修繕事業の拡大として、1973年に修繕専門工場として和歌山に由良工場を新設しました。特に、由良は千葉の2倍である33万重量トンが入渠可能なサイズで、事実上すべての船舶が入渠可能となりました。

その後の造船事業

1988年の自動車運搬船の竣工を最後に、玉野は商船事業を停止し海洋プラントや官公庁船に移りました。その後、玉野でも再び商船の建造が再開され、2工場体制を維持しました。

2020年のつい先日、その千葉工場から造船事業が撤退されることが発表され、2021年3月末でもって完全停止することとなりました。事実上、VLCC建造から撤退することとなります。

また、艦船部門を三菱重工に譲渡することも伝えられましたが、玉野での艦船建造が継続されるらしく、下請け化のようなイメージが持てます。

組織改革として、商船事業は常石造船との提携を行うと同時に、中国合弁のyamicとの提携も強める方針です。建造ではなく、設計やエンジニアリングに注力することとなりますね。

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三井造船の建造船

戦前戦中は商船のほか潜水艦や特殊攻撃艇、そして戦時標準船などを建造してきましたが、戦後もバルカーやVLCCなどの商船のみならず海洋プラントや調査船など特殊船も多数建造してきました。また巡視船の建造・修繕も行ってます。

三井の56

三菱や川重などが高付加価値船に特化したことと異なり、三井はバルカーが主力製品となってました。

特に代表的なのが2003年に第1船が竣工した56,000重量トン型バルカーで、通称”三井の56”と呼ばれております。ハンディマックスサイズの56BCは2010年に100隻を超える竣工数を誇り、その後継船ともいえるneo56BCが現在の建造の主流となっております。

バルクではこのほかneo60BC(60,000重量トン型バルカー)やneo66BC(66,000重量トン型バルカー)

VLCC

VLCCは戦後日本が造船王国を手に入れた最大の要因とも言えます。大手重工業企業が中心に建造し、現在は大手では三井やJMU、中手では今治造船や名村造船などが行ってます。

原油を最大31万トン以上積む事が出来る巨大なタンカーで、建造するには巨大なドックがひつようとなります。玉野では建造できないサイズで、三井は国内では千葉でしか建造できません。

なので、千葉からの撤退はVLCCの撤退を意味しているのです。ただし、中国合弁のyamicという会社がもしかしたら建造を行うかもしれません。

そのほか

艦艇の建造もありましたが、護衛艦などの前線艦ではなく、輸送艦や音響測定艦などの後方支援に強みがあります。最近では護衛艦ふゆづきの建造がありましたね。また、次期FFMも三菱と三井で建造しておりますので、玉野では艦艇の建造が続けられています。ちなみに、艦艇事業部を三菱に譲渡しても、その流れは続くそうです。

事業改革

記述の通り、三井は千葉から撤退し、商船建造は国内中手の常石造船との提携や中国合弁のyamic社での建造などにシフトしていきます。船舶建造ではなく設計やエンジニアリングなどのほうが付加価値は高く、そちらに注力するということですね。

というのも、三井E&Sホールディングスは経営危機に瀕しており、事業売却などで何とか持ちこたえている状況です。インドネシアの火力発電所で1500億以上の損失を垂れ流し、子会社や事業を売却すると同時に他企業との提携を進めるなどの対策を行ってます。

三井E&Sグループ 事業再生計画の進捗と見直しより

三井と常石

三井造船と常石造船の提携は、実は設備処理前から続くものです。常石は国内の本社工場以外はすべて海外にある珍しい企業で、現在はフィリピンと中国に造船所があります。建造船種は中型バルクが基本です。

三井はyamicとの関係を強化するため、古くから海外造船所の運営のノウハウがある常石との提携は、決して悪いものではいですね。

常石との関係についてはこちらにも書いております。

常石造船と三井E&Sの提携が意味すること
三菱重工が三井E&Sの艦艇事業を譲り受けるなど、日本造船業は再編途中にあります。 本日、その三井E&Sの造船部門である三井E&S造船が、常石造船と資本提携する旨が発表されました。 以下、提携についてみていきたいと思います。

終わりに

三井造船ですが、その歴史は古い一方、他の重工業系企業と異なり祖業は総合商社から生まれた一事業でした。

商船のみならず海軍艦艇や戦時標準船なども作る技術力は戦後も生かされ、特に古くから製造していたエンジンは今もなお多くの船舶に搭載されてます。

VLCCの建造も行うなど、戦後造船業を牽引した一社でもありますが、残念ながら現在はその面影は見当たりません……。

経営危機に瀕している企業ですが、今後の活躍に期待します。

ちなみに、執筆時現在私は三井E&Sホールディングスの株主の一人です(笑)

それでは~

 

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