以前、私はジャパンマリンユナイテッドの舞鶴事業所が商船事業を撤退することについて記事を書きました。
その後、下記のように舞鶴市市長をはじめ反対の声も多数あるのが現状です。
そこで、なぜJMUは舞鶴を再編の第一歩に選んだのか、改めて考察していきましょう。
~お品書き~
商船事業撤退を市長がなぜ反対するのか?
労働集約型産業と呼ばれる造船産業ですが、今では機械化や生産技術の革新が進み、建造に必要な人数はかなり減少しました。
だからといって、他の産業と比べてもなお人手が必要な産業形態であることに違いありません。舞鶴事業所には約400人の社員が働いており、商船事業から撤退となるとこのうち300人が配置転換を余儀なくされます。
この300人のみで建造しておるのではありません。下請け作業員も多数雇われております。
また、船1隻に必要とされる部品数は約20万点以上といわれており、関連産業が造船所付近で発達したのは言うまでもありません。経済用語で、すそ野が広いといいます。
つまり、事業所1つがなくなるだけで、地域経済に与える打撃は計り知れないほど大きなものなのです。
特に、造船所は広大な土地を必要とすることから田舎寄り(ゴメンナサイ)の場所に多く存在します。配置転換となると間違いなく県外へ行くこととなるでしょうし、解雇となれば会社自体が少ない田舎ですから、当然再就職も難しいのです。
市長が反対するのはこういった事情があります。
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商船建造における舞鶴事業所の価値
そもそも、なぜ舞鶴に造船所があったのか。さかのぼると、この舞鶴事業所はかつて海軍工廠と呼ばれる施設でした。
舞鶴海軍工廠は当初対ロシア戦を想定した、帝国海軍艦艇の修繕が目的でした(ほかの海軍工廠では、佐世保が艦船の修理補給を目的に作られ、横須賀と呉は新造が目的でした)。その後、時代の変化により、舞鶴では駆逐艦の建造が中心となります。
ちなみに、40ノットを記録した伝説の駆逐艦”島風”も舞鶴で建造されました。
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戦後は飯野重工業、舞鶴重工業、日立造船、ユニバーサル造船と変遷し、今に至ります。ちなみに、この飯野重工は1963年に日立造船傘下となり舞鶴重工へ改称されるように、戦後は一貫して日立系列でした。
日本海側最大の造船所といわれるのは、こういった経緯からです。あくまでも海軍がお客さんだったため、日本海側で作られたのです。
しかし、商船建造では、日本海側で建造する必要性は全くありません。ほかの多くの造船所が太平洋側や瀬戸内に展開するのは、その方が造船所的に有利だからです。
JMU舞鶴の価値は、あくまでも海自舞鶴基地の艦艇修繕や、日本海に展開する海保巡視船の修繕に発揮さえるもので、商船建造ではないのです。
JMUの売り上げはお世辞にも良いとは言えず、再編が進められている途中です。舞鶴が新造船撤退に選ばれたのは、残念ですが当たり前の選択といえます……。
今治造船との提携
別記事で、今治造船とJMUの提携について記事を書きました。そこでも話した内容となりますが、この両社の提携が舞鶴の撤退を後押ししたとも言えます。
JMUの設立の流れは、大手4社の事業統合でした。この4社は過去に国策として行われたの2度の設備処理でVLCC建造用の大型ドックを温存した企業群です。そのため、JMUも必然的に大型ドックを基幹とする戦略を取らざるを得なくなりました。
ちなみに、護衛艦や掃海艇、巡視船など官公庁船は横浜で建造し、それ以外を有明、呉、津、舞鶴で建造してます。因島は修繕がメインですね。
そして、上記事業所の内、舞鶴のみが中小型船建造の拠点だったのです。というよりも、他よりもドックの規模が小さく、そうせざるを得ませんでした。
以前使用したので、まだ舞鶴は新造となってますが、これが修繕に代わります。
他の事業所はドック長が500mを超え、幅も60m以上あります。舞鶴の小ささがよくわかりますね。そして、今治造船にはその規模のドックがあり、建造船も比較的よく似た規模のものです。
JMU舞鶴が新造船から撤退しても、今治が作れるのですからさして大きな影響はないのです。
そして、今治は官公庁船には手を出してません。このため、舞鶴は艦艇修繕に特化した方が良いと判断されたと思われます。
遅すぎた取り組み
京都新聞からですが、こういった記事が書かれてました。
『造船業衰退は「国防・地域産業の危機」 商船撤退の舞鶴市長、国会で支援訴え』より。
海上自衛隊などが所在するエリア、とは4つの基地(横須賀、佐世保、呉、舞鶴)のことだと思います。横須賀はJMU横浜が、呉はJMU呉、佐世保は佐世保重工(名村造船傘下企業)、そして舞鶴はJMU舞鶴が担当しますので、修繕は問題ありません。
一方、新造となれば現在護衛艦建造はJMU横浜、三菱長崎、三井玉野が担当しており、そもそも4基地すべてに新造造船所があるわけではありません。
また、舞鶴は唯一の日本海側だからこそ修繕能力が発揮されるのであって、護衛艦新造の必要性はありません。どうしても持たせたいのであれば、ロシアや北朝鮮から近い舞鶴ではなく、横浜(JMU横浜や修繕事業を行っている三菱の本牧工場)や呉(JMU呉)を拡張すべきでしょう。
また、造船業への財政支援は、それこそ韓国が行っている違法レベルの公的支援と被る可能性があります。2社が建造量の8割を占める韓国と異なり、日本は10社以上の造船企業がひしめき合っています。支援となれば莫大な公金が必要となります。
もちろん、国内建造に対する支援はあるほうが良いと思います。中韓造船業に押される日本ですが、建造量の半数は国内海運会社向けですので、日本の海運・造船業の双方にメリットとなります。
ただ、中韓造船業とその他の国の政府がどう出るかはわかりかねます。
2000年に建造量1位の座を韓国に奪われてからはや20年が経過してます。オイルショック後に多くの造船所が閉鎖され、あるいは多角化を進め事業から撤退しました。もう少し早く支援があれば、変わっていたのかもしれませんね。
終わりに
「JMU舞鶴事業所の新造事業撤退は正しい?」という題で今回書きましたが、結論を言うと正しい選択だと言わざるをえません。
もちろん、だからと言って勝手な解雇などは許されません。今回は配置転換する方針ですが、8割以上が県外へ行きたくないなど、ひと悶着ありそうです。
一方、海自関係者などは舞鶴を失うと日本海側の拠点を喪失することとなるので、気が気ではなかったでしょう。もちろん、当初から話が行っていたと思いますが(笑)
造船所の大半が瀬戸内に展開するのは、それが造船所にとって良い結果を生むからです。海軍工廠跡という特殊な事情があったからこそ舞鶴で新造船をしていたに過ぎないJMU舞鶴は、JMUの中でもいびつな存在だったことでしょう。
これからの動向を見ていきたいと思います。
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