護衛艦って、どの会社が作っているの?

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護衛艦。一口に言ってもその種類は多岐にわたります。

海外では巡洋艦や駆逐艦、更にはヘリコプター空母などに分類されるものも、国内では”護衛艦”とされております。もちろん、書類上では甲型、乙型に分けられてますが、世間一般ではすべて護衛艦だと認識されてますね。

今回は、それら護衛艦はどの造船会社で建造されているのかを書きたいと思います!

護衛艦にも種類がある?

国内では海上戦闘艦すべて護衛艦と一括りにしてますが、英語表記で見るとわかりやすくなります。

例えば、駆逐艦は海外ではDDと表記されており、国内の護衛艦にもすべてDDが割り振られております。なので、極論を言うと海上自衛隊の海上戦闘艦艇はすべて駆逐艦とも言えますね。

ただ、護衛艦を見るとDDのほかDDGやDDH、DEなども存在します。次期護衛艦に至っては、DEXからFFMに変更されましたね。

簡単にまとめてみましょう。

DD

DDは駆逐艦のことで、海自におけるはつゆき型やあきづき型です。一般の方が護衛艦と聞いて思い浮かべるのはだいたいこれだと思います。

艦隊防衛用の長距離ミサイルを搭載していない駆逐艦のことで、各国の海軍も有してますね。

DE

護衛駆逐艦と呼ばれる、小型の駆逐艦です。海自のあぶくま型が該当します。

日本近海での活動が主で、乗組員の数も少なく、砲や設備なども小ぶりです。DEX(FFM)は、このDE型の後継となりますね。

DEやFF、コルベットなど、駆逐艦よりも小さい大きさのものは種類が多くて大変ですが、実は決まった分け方はありません。

大きさ的にも異なる場合はございますが、だいたい大きい順にDE>FF>コルベットでしょうか。

DDG

ターターミサイルやイージスシステムなどの艦隊防空用ミサイルあるいはシステムを持つ、艦隊の盾としての駆逐艦です。より強力な駆逐艦といえます。

現状、国内ではイージスシステム搭載艦を意味し、こんごう型などが該当します。ちなみに、アメリカの全駆逐艦はDDGです。チートですね。

ちなみに、先日進水したイージス艦”はぐろ”は基準排水量が8,200トンで、これは日本海軍の阿賀野型軽巡よりも大きく(基準排水量6,651トン)、妙高型重巡よりも小さい(同10,902トン)規模です。

DDH

ヘリコプター搭載型護衛艦という、日本独自の分類名です。海外ではCVHで、ヘリ空母と訳されます。海自のいずも型が該当します。

世界的にヘリ空母はメジャーではないので、ニッチな面が大きいですね。そもそも大規模な海軍ヘリを持っている国自体が少なく、空母や揚陸艦を持っている国はそれで代替可能ですし。

ちなみに、現在の海自は各護衛艦に最低1機以上のヘリを搭載してます。しかし、ヘリの集中運用や整備の面からはヘリ空母が優れていることは言うまでもありませんね。

造船と海軍の関係

海軍力を支えるために造船業が必要なのはもちろんのことです。日本も海軍の最初期は英仏などから購入しており、日本海海戦で有名な戦艦三笠もイギリス製でしたね。

さて、軍艦建造の歴史において主役となった造船所は、実は民間の造船業ではありませんでした。いわゆる、海軍工廠と呼ばれる造船所です。

※民間造船所でも多々軍艦が建造されました。代表的なものは藤永田造船所などでしょうか。

 

海軍工廠。今現在は名前は残っておりませんが、造船所そのものはしっかりと残ってます。

ちなみに、昨今では艦船をアニメ化やゲーム化した作品が多数あり、鎮守府という言葉を耳にした方も多いと思います。鎮守府内に作られた造船所が海軍工廠として後に組織化された歴史がありますので、この鎮守府と海軍工廠は非常に密接な関係にあります。興味がある方はぜひ調べてみてください!!

さて、日本において有名な海軍工廠は4か所あります。

横須賀海軍工廠:現、米海軍横須賀基地

恐らく国内ではもっとも有名だと思います。神奈川県の横須賀にかつて存在した横須賀鎮守府内に作られのが横須賀海軍工廠です。現在は米海軍の横須賀基地とし日本政府から割譲されており、空母の整備も可能な前線基地として大いに役立っております。

江戸幕府⇒明治政府と官営で運営されてきたことから、海軍との関係は最も強いものでした。そのため、他の海軍工廠と比べても非常に長い歴史があります。

 

江戸幕府以降も軍艦建造の主役でしたが、呉など他の工廠が完成するにつれ旧式化してきたのもまた事実です。それでもなお、帝都の守護者としてその力を大いに発揮いたしました。

現在は米軍が接収してますので、海自護衛艦や商戦などの建造はありません。また、主に艦船の修繕やメンテナンスが目的ですので、新造船もありません。

呉海軍工廠:現、ジャパンマリンユナイテッド呉事業所

戦艦大和で有名な呉海軍工廠は、その規模と設備力で国内最大の海軍工廠でした。

戦後は米国の海運会社NBC社(ナショナルバルクキャリア)と播磨造船所(現IHI)が設備を引き継ぎました。実は、戦後の日本造船業に多大な影響を与えたのがこのNBC社です。NBC呉と一般的には言われてますが、詳細が知りたい方にお勧めの書籍があります。

著、前間孝則氏世界制覇 (上) という本です。戦艦大和の遺産〈上〉 (講談社プラスアルファ文庫)という名前でも出版されてますが、ハードブックと文庫化の違いですので、どちらでも大丈夫です。

 

ちなみに、日本は世界最大の船を常に更新するように建造していきましたが、その主役はこの呉海軍工廠の設備によるものが大きかったです。出光興産の”日章丸”もこの呉で建造されました。国内最大の海軍工廠だったこともあり、その設備もまた広大なものだったことがうかがえますね。

佐世保海軍工廠:現、名村造船所子会社佐世保重工業

横須賀、呉と来て、次は佐世保です。大国である清や朝鮮半島からの侵攻に対応するのが大きな目的でした。そのため、新造よりも修繕を目的としている面が強くありました。

大和型戦艦の修繕も可能なドックも後に作られることとなり、まさに西方の一大拠点としてその存在感を大いに与えました。

戦後は連合軍が接収し、のちに佐世保重工業(当時は佐世保船舶工業)として再出発を果たします。一時は現在の新来島ドックの子会社にもなりますが、ここに興味がある方は、高杉良著の小説会社再建 太陽を、つかむ男 (集英社文庫)という文庫本をお勧めします。

現在は名村造船所の完全子会社となり、大部分が修繕に利用されてます。もともと修繕が目的だった佐世保海軍工廠と同じ流れを維持しているのは、非常に面白いですね。

舞鶴海軍工廠:現、ジャパンマリンユナイテッド舞鶴事業所

さて、横須賀は太平洋に面した帝都の守りとしてその意味を有しておりました。呉は関西など関東より西南方面に対する防衛の拠点として存在してました。佐世保は対清や朝鮮半島からの侵攻に対する守りとして活躍しました。

舞鶴は対ロシアのために新たに設置された鎮守府、海軍工廠です。日清戦争による賠償金が使われるなど、他3拠点と比べて一番歴史は浅いものとなっております。

対ロシアのための設備であり、日本海唯一の拠点です。規模も小さく、主に修繕が行われましたが、駆逐艦などの新造も行いました。

この舞鶴でもって、日本近海の全方向ににらみを利かせるという結果を生み出しました。

護衛艦を建造している会社

さて、ここまでくるのにかなり遠回りをしました。

しかし、旧海軍の艦艇が海軍工廠や民間指定会社で建造されていたことをぜひ知っていただきたく少し遠回りをしました。

では、現在はどうなのか。それを書いていきたいと思います。

 

造船業はほかの記事にも書いているように、オイルショックにより大規模な統廃合と再編、合併などが行われました。それでも数は多いのですが、艦艇を建造している会社は限られてます。

特に、護衛艦に関しましては3社しかありません。

三菱重工

スリーダイヤの名前を聞いたことがない方はおそらくいないと思います。三菱重工の軍艦建造の歴史は、通報艦”最上”から始まり、世界最大の戦艦である大和型戦艦の2番艦”武蔵”を完成させるに至りました。

戦後はVLCCクラスの大型タンカーに注力し、オイルショック後は国内で数少ない客船建造の道へ進みました。特に、長崎県の香焼に作られた造船所は別名100万トンドックと呼ばれるほど強大な施設で、オイルショックが無ければ間違いなくVLCC建造において最強の存在となっていたことでしょう。

 

護衛艦に限ると、ほとんどの艦艇の1番艦を建造した歴史があります。特にDDGとイージス艦はその基礎から作り上げたといっても過言ではなく、まさに最高の技術力を誇っているといえます。

しかし、ヘリコプター搭載型護衛艦4隻すべての受注を得られず、またイージス艦も”まや型”は一切建造に関わっておりません。一部では建造費が異常に高いor他社が異常に低かったそうですが、真相は不明です。

 

ちなみに、護衛艦と異なりますが潜水艦の場合は三菱と川崎重工で毎年建造しております。このため、両社は安定して受注する関係にあります。

JMU(ジャパンマリンユナイテッド)

さて、艦艇建造においては昨今とてつもない勢いで受注を得ておりますのがこのJUM社です。

JMUは非常にややこしい歴史を持っておりますが、現在日本の建造量ではトップを走る今治造船の次点に位置してます。

このJMUはそもそも大手企業4社の事業合併により誕生しました。

①IHIマリンユナイテッド:IHI(石川島播磨重工)の造船事業(艦艇事業を含む)と住友重機械工業の艦艇事業部が合併して誕生した会社。

②ユニバーサル造船:日立造船と日本鋼管の両社造船事業(艦艇事業を含む)が合併してできた会社。

大手重工3社の造船事業と大手重工の艦艇事業が統一された企業であり、その規模と人員数は間違いなくトップレベルです。さらに、中手企業と異なり大手重工はVLCCを中心に建造していたため、その建造設備も大型なものとなってます。大型コンテナ船のロット受注はおそらく国内ではJMUしかできないでしょう。

誕生したのが2013年なので、まだ艦艇建造は多くはありませんが、イージス艦建造を三菱を退けて受注したのは驚きましたね。さらに、空母型は全隻JMUが建造するなど、技術力も三菱に引けを取らないものとなってます。

三井E&S

三井造船はこの2社とは違いあまり多く建造をしてはおりません。かつては駆逐艦建造に中心的な役割を果たした藤永田造船所を傘下に収めるなど、軍艦建造に力を入れておりましたが、現在は企業規模自体が小さく、あまり主役として存在してはおりません。

最近ではあきづき型を1隻建造したくらいでしょうか。

ただ、DE型の後継であるFFMの建造に際して、三菱重工の下請けとして建造することが示されており、今後も護衛艦の建造は続けていく方針だと伺えます。

※三井E&S造船の艦艇事業については、三菱重工へ譲渡されることとなりました。

おわりに

護衛艦は知っているけど、どこが作っているのかを知っている方は多くはないと思います。

造船所はもちろんのこと、造船業に興味を示してくれる方がこの記事で少しでも増えると幸いに思います。

 

 

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