フラ計画:米ソ共同の北方領土侵攻

ことへい書店

ところで、みなさんはフラ計画というものをご存じでしょうか?私はネット小説を書いている時にたまたま見つけました。

ちなみに、日本語に訳されておらず、英語で読むしかありません。ただし、本ではなくペーパーブックなので、ページ数は約50ページくらいです。文字自体も大きいので、決して読めないものではありません。

事前知識として

ソ連の侵攻

まず、本書の題名は「Project Hula: Secret Soviet-American Cooperation in the War Against Japan」というものです。直訳すると「フラ計画:対日戦のための、米ソ極秘の協力」で、第2次世界大戦時のお話です。

※無料で公開されているpdfもありますが、ペーパーブックそのものが安いので、購入されても良いと思います。pdfはこちら

皆さんは学校教育などで、北方領土の話を学んだことがあると思います。これは、1945年8月9日にソ連が日ソ中立条約を突然破棄し、侵攻した結果です。

ソ連軍による侵攻は満州、南樺太、そして千島列島であり、その最終目的は北海道の占領でした。

今現在、満州は中国共産党へ、南樺太はロシアへ、千島列島以南の島々は日ロの紛争地帯となってます。北方領土問題はこの島々をめぐる日ロの不一致から生じてます。

※サンフランシスコ平和条約(1951年)で、日本は南樺太と、千島列島を放棄しましたが、この条約にいう「千島列島」には北方領土は含まれていません。ソ連はこの条約に署名せず、条約の当事国となっていません。

内閣府より「北方領土問題」

なぜ米ソが協力していた?

では、そもそもなぜアメリカはソ連を支援したのか。

これは、ひとえにアメリカの日本本土上陸の損失が予想できないことがありました。日本は自存自衛を目的に戦争を開始しましたが、アメリカの終戦目標は日本の完全支配にありました。そして、そのためには日本本土へ上陸しなければならなかったのです。

米国は、日米戦開始当初からソ連に対日参戦を要求しておりました。本土上陸での損失があまりにも大きすぎて、とても国民感情が許さないことが予想されたのです。50万個パープルハート章(名誉戦死傷章)が作られ、2010年にやっと在庫が尽きたのは有名な話です。

最終的にヤルタ会談(1945年2月)でソ連はドイツ降伏後2~3か月後に対日戦へ参加することを表明しました。ちなみに、ドイツ降伏は5月8日で、その3か月後の8月10日にソ連が対日参戦しました。なお、日本の戦況は3月終盤から沖縄戦が開始されるなど、悪化の一歩をたどっておりました。

少し脱線してしまいましたが、この本土上陸にソ連陣営を巻き込むのがヤルタ会談の目的で、そのためのソ連に対するアメリカの支援こそがフラ計画の本質です。なので、その支援内容も上陸を目的とした部分が多く、掃海艇や上陸用舟艇、護衛艦などをレンドリースしました。

それでは、内容に入っていきましょう!

アメリカの異常なソ連への片思い

ソ連の対日参戦はひとえにこれに尽きると思います。とにかく、アメリカは対日戦にソ連を巻き込みたくてしょうがなかったのです。

アメリカのソ連に対する認識の変化

そもそもアメリカが日本を仮想敵と見始めたのは、日露戦争で日本が勝利したことにあります。アメリカの戦略家も、「米ロ両国の日本に近い領土は、将来対日戦において有利に働く」と考えてました。

「Russia and america as “two arms of a nutcracker” able to crush Japan if their ideological antipathy could be overcome.」(もし思想的反感を乗り越えられたら、ロシアとアメリカは”くるみ割り人形の両腕”のように日本を潰せるだろう※つまり、米ソが協力して、両方面から日本を攻撃するということです)

しかし、当時のアメリカ政権、つまりはウッドロー・ウィルソンと共和党が、ソ連との協力を拒んだのです。これは、当時ソ連政府のトップだったレーニンが「西側の資本民主主義の転覆と、活動家を支援」することを提唱していたからです。これなら当然ソ連を危険視します。

 

さて、時代は進みます。米ソが両国の軍事的協力を再び考えたのは、1931年の事です。これだけでハッとした方、大変勉強熱心な方だと思います。この年は、満州事変が生じた年に他なりません。

後に満州国(1932年)となるわけですが、米ソ両国はこれを日本の軍国主義の拡大と捉えました。特に国境を接するソ連にしてみれば、日独がそれこそ”クルミ割り人形の両腕”のように攻撃してくる可能性を考えなければならないわけですから、とてつもなく恐ろしい話でした。

一方、アメリカはルーズベルトが政権を握り、立ち上がる日本の軍事主義を前に共産主義者との外交強化の機会を認識します。

そのためかどうかはわかりませんか、1936年にスターリンは米国企業に”アメリカで建造する次期戦艦の試作艦の設計についての交渉”の門を開きました。ソ連の次期主力戦艦をアメリカ企業に設計、建造を任せるというのは、今では考えられませんね。

恐ろしいのは、この戦艦は極東に配属されることが決まっていたことです。なお、この戦艦建造はソ連のアメリカ内でのスパイ活動が激しすぎて、アメリカ海軍省からの反対により計画は進みませんでした(笑)

日本の南進論と極東

支那事変(今では日中戦争とも呼ばれておりますが、正式名称はこちらなのですよ。もっとも、多くの日本人には関係のない話ですが……)で国際的孤立を深める日本ですが、1937年12月とある事件が揚子江で発生します。パナイ号事件です。

この事件は日本の空母艦載機が当時中立だったアメリカの砲艦(Gunboat)を沈没させたもので、アメリカとの関係を大きく悪化させたものでした。さらに、1938年以降、日本はアメリカのみならずソ連との対立を深めていきました。

1939年の夏には外モンゴルと満州国の国境で日ソが衝突します。ノモンハン事件です。残念ながら日本はこれに敗れます。そして、これこそが日本を南進論(中印、東南アジアなど日本本土より南方へ侵攻する戦略方針。ちなみに、北進論もあります。これはソ連侵攻のものです。)へ決定づけたと本書では語られてます。

ルーズベルトのソ連へのアプローチ

さて、(1939年8月に)独ソが不可侵条約を結んだあと、ソ連は日本とも不可侵条約が必要であると考えるようになります。一方、日本は国際的に孤立を深め、その立場を改善するためには中立の立場であったソ連との関係を悪化させるわけにはいきませんでした。これが1941年4月の事です。

それから2か月後の6月、ドイツはソ連に侵攻します。独ソ戦の始まりです。

※もし日ソ不可侵条約が無ければ、ソ連は対日戦の為、シベリア方面に兵力を分散させなければならず、結果ドイツが有利になっていたと言われてます。この条約が日本の同盟国であったドイツを敗戦に導く要因になったのは皮肉なことです。

独ソ戦の開始後の8月、イギリスのチャーチル首相がソ連への物資支援を開始します。そして11月、ルーズベルトは「私はソ連を守る」と宣言し、軍事的・経済的に必要な支援をレンドリースする組織の設立を命じました。

というのも、実はルーズベルトは独ソ戦におけるドイツの勝利や、独ソ間の停戦をとても恐れていました。広大なユーラシアをドイツが手に入れるのももちろん恐怖的ですが、それ以上にアメリカにとって問題なことがありました。それは、アメリカに敵対的な日独が”陸上で直接的に接続できる”ようになることです。

中立の立場であるアメリカにとって、日独が陸続きになる事は負債以外の何物でもありません。だからこそ、アメリカは対ソ連レンドリースを決定したのです。

※もちろん、ソ連の勇気ある行動(=国土を失いながらも防戦を続け、世界で最もドイツ人を殺していること)が米英の国家国民の称賛を勝ち取ったとも本書には記載されてます。

米国の参戦と米英によるソ連海軍の再構築

義務教育を終えた方であれば間違いなく真珠湾攻撃という言葉を知っている事でしょう。これにより、アメリカは第2次大戦への参戦を堂々と行えるようになりました。

参戦と同時に、ルーズベルトはソ連への対日参戦をより強く要求するようになります。しかしソ連側は「ソ連はドイツと大戦争を行っており、日本からの攻撃を受ける可能性を背負いたくはない」と慎重な姿勢を取り続けました。当時のソ連は絶望的なモスクワでの戦いの途中で、ギリギリ持ちこたえている状態でした。とてもじゃありませんが日本と開戦などできません。この回答は至極当然なものでした。

さて、真珠湾攻撃から数日後というときに、チャーチルとルーズベルトは会談を行いました。アルカディア会談です。そして、会談にソ連は参加していないにもかかわらず、両国は米英軍の戦闘目的を話し合い、また両国の連合参謀長(British and American Combined Chiefs of Staff)は対日戦戦勝の為にはソ連海軍を支援しなければならないことを決定しました。

この初期の段階で、既にソ連海軍の支援が決められていたのです

日本によるアッツ、キスカの占領

日本がアリューシャン列島のアッツとキスカを占領した1942年序盤、再び米ソ間の協力関係構築の可能性を引き起こしました。

1943年10月、ルーズベルトとチャーチルは全体戦略について再確認し、同時に、統合参謀本部は日ソ開戦の可能性を見積り、ソ連の対日参戦はドイツからの脅威が無くなった後であると結論付けられました。

また、同月、モスクワではソ連主催でアメリカ全権委任者のハル国務長官、モスクワ米軍トップのデーン少将を含む外交官の会談が行われました。そして、この場で非公式にソ連の参戦がソ連側参加者から伝えられます。

このソ連側の発表は、会議の覚え書きに残っておりません。ただし、対日戦のソ連参戦のためにはドイツを打破することが必要不可欠であると、同盟側は理解しました。

そして、同年、ついにルーズベルトとチャーチル、スターリンは初めてテヘランで会談しました。ただし、この会談の結果、アメリカ情報部は日ロ関係を中立のままだと見積ります。実際、後日ソ連から兵力についてそれだけの余裕ない旨の連絡がありました。

スターリンの公式発表とソ連海軍への支援

初会談から約1年後の1944年10月、第4回モスクワ会議において、ソ連はドイツ敗戦後3カ月後に対日戦に参加することを誓いました。また、コードネーム“マイルポスト(MILEPOST)”と呼ばれる、対ソ物資支援計画が進められました。これは対ソレンドリースとは別の物で、ソ連の対日参戦前にソ連領内に物資などを備蓄することを目的に行われました。

そして、このマイルポストでの支援リストには、物資の他に「護衛艦や掃海艇から飛行船や魚雷を搭載したA26軽爆撃機、更には様々な港湾機器や電子部品まで、約20種類の船や航空機」も含まれておりました。また、引渡のみならず、ソ連海軍兵を米艦船で訓練させるような人的トレーニングと各タイプの船舶を届ける計画も作成されました。

※当初はダッチハーバーで訓練する予定でしたが、約250隻の艦艇と船舶、2,500人の訓練場所など、とても此処ではキャパシティが足りませんでした。代案として第1候補にコールベイが、第2候補にコディアック島が提案され、コールドベイがソ連海軍への支援に決定されました。

計画の始まりと占守島での戦い

フラ計画の艦船

このコールドベイで行われるアメリカによるソ連海軍への支援こそが、フラ計画と呼ばれるものの正体です。

当初計画では、1945年11月1日までに180隻をソ連に移送する予定でした。その名簿にはPF30隻、AM24隻、YMS36隻、SC56隻、LCI(L)30隻、YR4隻が含まれていました。訓練完了後はこれらの船はソ連船籍になり、アメリカ護衛の下、母港とされるトロバフスクに移動する予定でした。また、ソ連海軍の士官と乗員は米軍指揮下に入りアメリカ艦で合同訓練を含む訓練を受ける予定でした。

※PF:Tacoma-class patrol frigates(タコマ級フリゲート)

AM:Admirable-class minesweepers(アドミラブル級掃海艇)

YMS:Auxiliary motor minesweepers(補助用モーター掃海艇)

SC:Submarine chasers (497級駆潜艇)

LCI(L):Large infantry landing craft (LCI(L))(大型歩兵上陸用舟艇)

YR:浮き作業船(艦型不明)

 

1945年4月、コールドベイで訓練が始まりました。3か月後の7月の終わりまでに、180隻のうち100隻がソ連に引き渡されました。

訓練内容は、操艦から対潜作戦などの基礎訓練はもちろんのことですが、最も力を入れて行われたのが上陸戦についてでした。

※ちなみに、ソ連軍が最も楽しんだ訓練が対空砲を撃つことだったそうです(笑)

ソ連の参戦と占守島の戦い

ドイツ降伏(5月7日)後3か月後に参戦することを約束していたソ連は、それに則り日ソ不可侵条約を一方的に破棄し、参戦しました(8月10日、満州に侵攻)。

ソ連海軍は南樺太(南サハリン)、千島列島(クリル諸島)、北部朝鮮(北朝鮮)へ侵攻するソ連陸軍の支援を行います。

フラ計画によってソ連に譲渡されたLCI30隻の内16隻が占守島上陸に使われ、5隻が戦闘で沈没しました。

フラ計画の結果

日本の降伏により、フラ計画は終了する運びになりました。計画途中で降伏が生じたため、当初予定の180隻全てが転籍することはありませんでした。

最終的にフラ計画では士官750名を含む約12,000名が訓練を受け、ソ連海軍へ譲渡された艦船は145隻(PF28隻、AM24隻、LCI(I)30隻、YMS31隻、SC32隻。このほか4隻の浮き作業船)でした。

おわりに

さて、過去最長の記事でしたがいかがだったでしょうか?

戦後から70年以上たち、戦争経験者の方もだんだん減ってきております。私は舞鶴の引揚記念館に良く行くことがありますが、シベリア抑留経験者の方もかなりのお歳となってます。

北方領土を耳にしたことがある方は多いものの、占守島の戦いを知る人はそう多くはありません。

これまではソ連が一方的に不可侵条約を破り、満州や朝鮮半島、そして千島列島などに侵攻したと学んできましたが、このフラ計画を読む限り、北方領土問題は日ソのみの問題ではないということがわかると思います。

そもそも、中立の立場に言いながら対日戦参加を約束し、米ソが極秘で対日戦のための訓練を行うというのは、もはや中立と呼ぶことはできません。しかし、残念ながら戦争を前にこういった矛盾を語る事は無意味に等しい事です。

もしこの記事で少しでも多くの方が北方領土や米ソ協力関係などに興味を持っていただければ幸いです。それでは。

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